こんにちは。ヘッドコーチの仁です。
今日は、中村清先生との出会いについて書きます。
1975年10月6日の全日本実業団陸上競技大会3000m障害で8分36秒8の大会新記録で当時日本記録保持者の小山隆二選手に勝って優勝しました。
1976年1月に日本陸上競技連盟の強化選手に選ばれて宮崎の旭化成の合宿に参加しました。
そこで、当時陸連の長距離担当コーチだった中村清先生と初めてお会いしました。
集合は夕方でしたが飛行機の都合でお昼ごろ合宿所についたわたしを中村先生がおひとりで迎えてくださいました。
昼食をご馳走になりながら会話が始まりました。
[君があの小山君を負かした岩渕君だね」
「いい目をしている、目は心の窓、その心を大切にしなさい」
初めての日本陸連の合宿で緊張していたわたしの心はすっかりリラックスして、中村清先生の話しに引き込まれてしまいました。
会話を再現します。
中村「コーチは誰かね?」
岩渕「いません」
中村「どうしてこんなに強くなれたのだね?」
岩渕「本のお陰です」
中村「誰が書いた本だね?」
岩渕「アーサー・リディアードです」
中村「ニュージーランドのアーサー・リディアードか」
岩渕「はい!スタミナを着ければ速くなると書いてあります」
中村「君は素晴らしいコーチを見つけたね」
「本を読むなら聖書も読みなさい」
それから、聖書を取り出して、読んで注解してくれました。
中村「コリント第一9章24節にはランナーにとっても大切なことが書いてあ
るよ」
「競争の走者はただ一人だけ賞を受けること」
「それを獲得するには、すべてのことに自制しなければならないと」
「また目的を持ったトレーニングをしなさいと、具体的に書いてあるん
だよ」
「伝道の書9章11節』にも競走のことが書いてあるよ!」
「速い者が競走を、あるいは力あるものが戦いを自分のものにするわけ
ではないと」
岩渕「どんな人が勝つのですか?」
中村「知恵のある選手ですよ」
「合宿が終ったら一度、千駄ヶ谷に来なさい」
「君は強くなるよ!」
今は、あの合宿でどんな練習をしたか覚えていないが、中村清先生との会話は今でも鮮明に記憶にあります。
その年の春休み、陸連から1976年モントリオールオリンピック候補選手に選ばれ小山選手と2週間の合宿に招待されました。
走りこみの最終段階でしたが早めに切り上げて、順天大の小山選手の帖佐コーチの合宿に参加しました。
トレーニングは、インターバルが中心メニューでした。
200m×20本,300m×15本、400m×10本2セット、1000m×5本2セット、
3000m+2000m+1000+200m+1000m
本当によく走ったと思いました。
調子はすぐに最高潮で、春先の3,000mタイム・トライアルで8分そこそこの自己新が出ました。
海外遠征にも派遣させて頂ききました。
しかし、調子が早めに上がり過ぎて体調をを崩してしまいました。
その後、オリンッピクの最終予選で小山選手に負けてしまい、オリンッピクの夢が断たれてしまいました。
もう、引退しようかなと思いました。
しかし、心に残っていた言葉がありました。
「君は強くなるよ!」
中村清先生の一言です。
オリンッピクも終った11月の下旬に、勇気を出して、恐る恐る、中村先生宅に電話を入れました。
岩渕「覚えておられるでしょうか?水戸の岩渕です」
中村「心配していたよ!今からでも遅くはない、わたしがコーチしてあげる
から週末に千駄ヶ谷に来なさい」
岩渕「はい!ありがとうございます」
早速、週末の土曜日に水戸三高の勤めを終えると特急で東京へ向かいました。
中村先生はまだフリーの立場でしたが、来年春からから早稲田大学のコーチになるとのことでした。
知恵の道を説いてくれました。
「先人の経験と自らの経験から学ぶこと」
「同じ失敗を何回も繰り返さない」
「出来ることに努力する」
「諦めないこと」
「岩渕君はいい指導者になれるよ。いっぱい失敗しているから」とも励まし
ていただきました。
「中村は、日本陸上界の吉田松陰となり、ここ(自宅)を松下塾とし、岩渕
君は塾長、日本のマラソンの黎明期を創ろうな!」
「来春には瀬古が早稲田に入るし、多くの若者をこの塾に集め、世界に通用
する選手を育てよう!」
その12月中に、瀬古君が先生の経営するアパートに入り、わたしは毎週末に上京し、瀬古君とのトレーニングが始まりました。
中村先生のトレーニングの基本は、アーサー・リディアードのマラソントレーニングでした。
20km、30km、40km本当によく走り込にました。
講話も深夜に及び、聖書、仏教、禅問答、世界の哲学者の話を聞きました。
中村清先生には、先生が事故で亡くなるまで10年間教えを頂きました。
今でも、中村清先生の教えはわたしの人生に大きな感化を与えています。
また次々回をお楽しみに!
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